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世紀以上も経ちダウンが

わたしより歳上のその方は、わたしより早く歳を取る。 
そんな当たり前のことを事実として感じた。
そして、どんな元気な人も、どんな頭の良い人も、歳を取る外賣盒批發
これは避けられない。
特に、元々、わたしなんかより雲泥の差で頭脳が優れている人は、ほんの少しでもわたし寄りの老化を感じると、不思議な気になる。

父より11年若い母が老年の父のことをよく言っていた。
「あんなに賢かったお父ちゃんが、最近、前ほど賢くない」
前ほど賢くなくなった父でも、十分、その時の母より賢かったが。
父も父方祖母も、アタマは最期までクリアだった。
わたしもそうありたいが、体が言うことを効かなくなると、アタマだけ冴えていても辛いだけ。
アタマと体は同じ足並みで衰えていくほうが幸せだ。

で。
知人は、わたしの父と母の違いぐらい、わたしとは頭脳に雲泥の差がある招牌設計
そうなのだが、やはり寄る年並みには勝てない。
わたしが中学生の時に、家族全員で(同時、麻雀を覚えたばかりの兄、主導のもと)麻雀を一斉に始めた。(ただし母、除く。父、兄、姉、わたし)
その時に、当時50歳を超えていた父の覚えが悪かったことを記憶している。
わたしたち子供はスイスイ覚えるのだが、父はモタモタ。
チョンボも父にはわたしたちは寛容。
わたしは、父を頭脳明晰だと尊敬していたが、あれれ?新しいことは、若い人のほうが覚え易いのだと感じた。
歳を取ると、頭がカチコチになりやすい。
たとえ、頭脳明晰の50歳でも、普通の中高生には負けるようだ。
仕方ない。
生物は生まれてきたからには、その日から成長もするし、衰えもする。
避けられない宿命である。

というわけで、尊敬していたダントツ学業優秀の知人が、父同様に、ピーク時よりダウンしていた。
わたしは、ピークが12歳の時(人生のスタート地点あたり)だから、それから半世紀以上も経ちダウンが著しいけれど。

そして、かつて一緒に運動していた仲間だった知人だが、運動機能的にも衰えを感じた。
その人は、家庭の事情で時間が取れないこともあり、スポーツを全くしなくなったようなので、印象的にガクンと若さがなくなっていた。
どちらかというと、趣味は足腰を動かさない、アタマや感性を使うものなのだからか。
やはり、ウォーキングでもよいので、軽い運動は日常に取り入れたほうがいいと思った。
わたしも渋らず機会があれば、参加したほうが自分のためになりそうだ。

老けて見えたのは、ちょうど、歳を急に取る年齢に差し掛かっていたのかも知れない。
わたしだって、何年も会わなかった人には、同様のことを思われることだろう。
皆んな同じ。
誰だって歳を取って行く。
自覚症状がある場合もあるが、人の姿を見て、この人、歳取ったなあと感じることもある月餅盒
何度も言うようだが、当たり前なのだけれど。

ジタバタあがいても仕方ない。
落ち込むなどもってのほか。
年齢と共にやってくる変化を受け入れると、こころが落ち着く。
歳を取る感覚に慣れてくる。
アンチエイジングの人から見ると、だから老けるんだ!と叱咤されそうだが。
なんで自然の流れ、真理に逆らわなければならないのか、わからない。

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